ガールズバンドじゃなくなって、女性のお客さんが増えた

2012年4月 2人になったばかりの頃のアーティスト写真
3人時代の写真を切り取った

——二人になってもピンサロックスの活動を続けようと意思確認したところで。

Hisayo:じゃあ、YANAさんに声かけますね、と(笑)。ワタシはGHEEEでも一緒にやってるからYANAさん(ドラマー/ZEPPET STORE)の良さをわかってるし、元々、三浦さん(三浦俊一、ギタリスト/プロデューサー/レーベル「KIMONO」主宰)と一緒にケラ&ザ・シンセサイザーズをやっていて、三浦さんを繋いでくれたのもYANAさんだったし、(エレクトロなサウンドを)NACANOでもやってたので、YANAさんならpinsalocksの音楽を絶対に表現してくれるってわかってたから。一番近くにいて、一番頼りがいがあって、音楽性を理解してくれて、ってもうYANAさんしかいなかったんですよね。

——もう他に選択肢はなかったと。

Hisayo:pinsalocksはガールズバンドだけど、代わりの女の子を入れてやるっていうのはちょっと違うなって思ったので。そこはあえて違う感じにしたくて。レイコがいなくなった分、パワーダウンするんじゃなくて、パワーアップしたいと思ったから、それでYANAさんにお願いしました。

Naoko:ワタシはヒサヨが一緒にやりたいドラムとやりたいと思ってたから、そこはお任せした。

Hisayo:それでお願いしたら、ふたつ返事でOKって言ってくれたし、三浦さんもノリノリで、久しぶりにYANAさんと一緒に音を出せる、って。

——三浦さんがサポートに入ったのはいつから?

Naoko:そうだよね、同じタイミングやったのかな?2曲とか途中でちょっと入ったことはあるけど、毎回ではなかったよね。

Hisayo:フルで三浦さんがサポートで入るっていうライブは、それまでなかった。基本的に3人のガールズバンドっていう見せ方だったから。でももうYANAさんが一人入ったら、ガールズバンドじゃないので(笑)。YANAさんが叩く時は、俺も常に弾くよって三浦さんが言ってくれて、東京でできる時はそれから4人に。メンバーに男の人が入ったことで、うちらも肩の荷が下りた、じゃないけど、気張らなくてよくなったし。ちょうどそこで女性のお客さんも増えて…サポートのお二人がきっかけで見に来てくれるようになった人もいるのだろうけど。

Naoko:ガールズバンドって難しいよね。アイドルまでいっちゃえば、男性のお客さんがたぶんいっぱい来ると思うけど、うちらアイドルってカンジもしないし(笑)。そのとき初めて「あ、ガールズバンドってとっても難しかったのね」って思ったよね。

Hisayo:こっちの方が来やすいかな、と。

——そこで客層に変化があった。

Hisayo:そう。ナオコのお店に来てくれているお客さんも来てくれるようになったし。不思議だった。

Naoko:そうだね。

Hisayo:二人になったことで、より二人の関係性が際立って、今まで三人で分けてやっていたものが、二人でやるしかないから助け合わなければ!っていう精神がすごい働いた。どっちかだけに任せるっていう場面も多くなって、ナオコがこれやってくれてるなら、ワタシはこれをやろうって、たぶんお互いにそう思って活動できるようになったから、よりいいカンジになった。

Naoko:で、二人になってからの企画「VIVA!LA GAL(ビバ・ラ・ギャル)」(2012年11月25日@札幌 Sound Lab mole)をやるわけですね。札幌。

2012年11月 札幌moleでの自主企画「VIVA!LA GAL」

Hisayo:「Spoon Market」の様子を見てくれて、いいなって思ってくれた札幌の新保知健さん(FLUKE/IN YOUR POCKET)っていう、HALL SPIRITUAL LOUNGEの店長さんが、三軒茶屋HEAVEN'S DOORの堀さんのような役割で、一緒にやろうって言ってくれて。「Spoon Market」はもうやりきった感じがあったけど、また別の場所で別の角度からなら出来るかなって。元から札幌は、震災の後すぐにチャリティーツアーに行ったくらい(第二期インタビュー参照)、うちらのお客さんがちゃんとついてくれている地域なので、成功する感じもイメージ出来た。東京からはナオ(70/QV)ちゃんだけ連れていって、あと札幌のガールズバンド、いまや大人気のDrop'sとかが一緒にやってくれて。それも良かったよね。

Naoko:そうだね。いいカンジにできたよね。内装とかライジングサンとかでも活躍してる、現地のまめちゃん(豆電社)がやってくれたりして、すごいカワイかったし。

Hisayo:イベントをやる前にも何度か札幌に行って打ち合わせをしたけど、東京でSpoon Marketをやる時より、スタッフの団結力があったような気がするもんね。なかなかそういうイベントが札幌でもないみたいだから、純粋に楽しんでくれてるような感じがした。いいチームワークで出来たよね。

 

妊娠中だからこそ、音楽に純粋に向き合えた

Naoko:それで、その次の年に「Majolica Matryoshka(マジョリカ・マトリョーシカ)」を開催(2013年01月25日@新代田FEVER w/toddle,チリヌルヲワカ)。

2013年1月 自主企画「Majolica Matryoshka」@新代田FEVER

 

Hisayo:この時は、ここからじゃあ、二人になってからのアルバムを作って、大阪でも企画をやって、って計画してたんですよね。まずは一発目に新しい企画のマジョマトを始めて、今までのSpoon Marketみたいなイベントより、純粋に音楽の比重を大きくしたイベントもやっていこうって思ってガチンコスリーマンで、チリヌルヲワカとtoddleという、素晴らしいメンツに出てもらえて。さあここからやろうー!みたいな時に…ナオコがおめでたいことになって(笑)。

Naoko:あはは。

Hisayo:ライブでお客さんに妊娠発表した時は、ステージ上でワタシが泣いてたんですよね(笑)。
発表するまで緊張感がすごいあったんだけど、発表した後のお客さんの拍手がめちゃあたたかくて。※2013年06月30日@渋谷 STAR LOUNGE『B.B.Q』BARBARS QUEST 第5章 ~ファーストタイマンショー!~にて、ニューアルバムとレコ発ライブの日程を発表し、さらにNaokoの妊娠とそれが産休前の最後ライブになることを発表した。

Naoko:ははは(笑)。

2013年6月 ライブで妊娠を発表@渋谷Star lounge

——ちなみに、ナオコさんからどんな風に妊娠報告を受けたんですか?

Hisayo:その辺で聞いたよ、妊娠したって話。スタバとかかな?

Naoko:電話で先にしてなかったっけ?

Hisayo:してない。

Naoko:いきなり言ったの?ワタシ。

Hisayo:いきなり言った。

Naoko:あの…ワタシ全部、記憶が飛んでる人なんですよ、すべてにおいて(笑)。ヒサヨの方がいろいろ覚えてる。

Hisayo:エコー写真を見せてもらって。その妊娠の話の当時はもう、発表こそしてなかったけど、CDを作って、その後のリリースツアーのライブハウスの会場とかも押さえてあって、レコ発はこうでって決めてたから、妊娠したって報告の時にもうナオコはその辺をどうするか考えてくれてて。これはキャンセルしなきゃいけないけど、このライブは出られる、とかけっこう言ってくれてた、その時。

Naoko:北海道は無理かも、とかね。妊娠してる人は飛行機がどうこうっていうのがあったから。あとはつわりの具合がどんなカンジかとか、うちの母が分娩台の上まで吐き続けていた人で、ワタシは7つ下の弟がいるんでその前後を知ってるから、それがもし遺伝してたらけっこうヤバいかもって思ってたけど。とはいえ、曲も途中まで作ってたし、やれることをやりたいなぁと思っていた。

Hisayo:で、ここのTHREE(2013年09月08日@下北沢THREE tokyo pinsalocks『センチメンタルメタルチェア』Release party)はギリギリ行けると思う、みたいなカンジで、それ以外の地方はとりあえずキャンセルさせてもらおう、って。

——妊娠報告と同時にスケジュールの話を?

Hisayo:そう。たぶんワタシが不安になると思ったのかもしれないけど「たぶん、できると思うんだよね」って、産んだ後もpinsalocksを続けられると思う、みたいなことを言ってくれたんですけど。でも私としては産んだ後のことは…ちょっと難しいかもっていうか、わかんないだろうなぁって思って。ナオコは続ける気でそういう話をしてくれたけど…でもここからどうしよう?って。もしかしたら、いよいよこれで活動できなくなってしまうかもしれない…ってすごく考えた。

CDのリリースも、たぶんナオコは産んだ後でもいいんじゃないか、みたいなカンジもあったけど、だけどワタシとしては後ではリリース出来ないかもしれないって気持ちもあって。これは後には引っ張れないなと。だから産休前にライブするって決めたそこで、今の時点で作っている新曲もまとめた、ライブ会場だけの音源を作って、それを出して、ちょっとお休みしますって言って、ファンの人には待っておいてもらえたら良いんじゃないかなと考えた。

そうしよう!とわたしは一人で決断して、それだけ作りたいって三浦さんに提案したら「せっかくだったら、これはご祝儀っていうことで、いっそCDにしよう」って。リリース後のツアーができないってわかってるから、ライブができない=CDが売れないから、それは当然赤字になるCDなわけで。でもこれはご祝儀っていうことで作ろうって言ってくれて。それで『センチメンタルメタルチェア』を作ることができた。…その時、つわりで大変だったね。

2013年7月
妊娠中に「センチメンタルメタルチェア」をレコーディング

Naoko:そう、けっこうつわりが大変で。身体的にあんまりよろしくないときもあったから、すぐに実家に帰って。実家でね、ヒサヨとメールのやりとりで曲を作って。

Hisayo:オケを作って、メールしてね。

Naoko:パソコンからそのオケを流しながら、これ(スマホ)に向かって歌って(笑)、またヒサヨに送り返して。

Hisayo:そういうやり取りを繰り返して。でもナオコは、今までは仕事があって忙しくしてる間に音楽をやってたけれども、妊娠して実家に帰ってからは、体調の様子を見ながらだけど、仕事がないから、けっこう音楽に向き合ってたカンジがすごいあった。だから『センチメンタルメタルチェア』を作った時は、純粋に音楽だけのやりとりがけっこうできたなって気がする、離れてたけど。それがワタシはすごくうれしくて。今こういう作り方が出来てよかったなぁって思った。もしかしたら最後になるかもしれないって想いもあって…。

で、ナオコの体調もあるから、そんなに何曲もできないから、5曲作ったところで三浦さんに持って行ったら「この5曲が良いから、あともう一曲ぐらいイケるんじゃない?すぐ作れ!」って言われて、えー!って(笑)。CDの発注書を出す直前で、曲なんかできてないのに、じゃあこういう曲を作ります!ってナオコがすぐに曲名出して、発注書もそれで提出して。すぐに作らなきゃ!って。

Naoko:で、一日で、ヒサヨが曲を作って、ワタシが歌詞を作って。

Hisayo:フラッドのツアーに行かなきゃ、って時で「ワタシは後から新幹線で行きます、一曲作らなきゃいけないんです!」って伝えて。本当に一日しかなくて「ナオコ!歌詞作って!」って言って同時進行でワーってやって、一日で作った曲が「$1000000」。

——なんでもう一曲作らなきゃいけなかったんですか?(笑)

Hisayo:三浦さんには、こっちのスケジュールって特に伝えてないから「良い曲出来てきてるから、この勢いでもう一曲イケるよ!」みたいな。そう言われたら、こっちもなんか期待に応えたい、みたいなカンジで(笑)作ったんですよね。

Naoko:うん。

 

「やりたかった」という後悔を残した、幻の産休前最後のライブ

——2013年09月08日@下北沢THREEにて、tokyo pinsalocks『センチメンタルメタルチェア』Release party(BO-PEEP,YOU MUST SEE I (京都),Merpeoples,tokyo pinsalocks SPECIAL (Hisayo、三浦俊一、YANA))が開催されました。

Hisayo:あの時もすごく壮絶な…。

Naoko:ヒサヨがね。直前だったからね(苦笑)。

——ナオコさん欠席の正式アナウンスがあったのは、三日前ぐらいですかね。

Naoko:ですね。その二日くらい前に突然出血があって、病院に行って絶対安静って言われたんですよね。

Hisayo:最初は座ってやるとか、やる方向で進めていて。その年の夏は、ナオコは産休前最後のライブだからと、大切に作ってたから絶対やりたいって。

Naoko:スタジオにも入ってすごい準備してたから。だからやりたーい!ってなってて。

Hisayo:そう。この夏に準備したものが披露できないなんて、って。すごいナオコの気持ちもわかって。あぁ…って思ったけど。

Naoko:無理やり出来なくはないけど、やっぱ保証があるわけじゃないから、と。先生ともいろいろ相談したけど、うーん。先輩ママ達にもみんな「ありえない」ってカンジだった。

Hisayo:スタッフの人に「(あの時やれなかったけど)やりたかった」っていう後悔の方が良いよって言われて。「やらなければ良かった」っていう後悔は良くない、でもやりたかったっていうのは後でできるから、って聞いて、確かにって思って。それでナオコとも電話で泣きながら話をして、やめとこうって決めた。でもレコ発はやるって決めて。開催まで二日間でいろいろな人に「協力してください!」ってTwitterでもお願いしたら、みんな協力してくれて。私も歌ったし、対バンの人も歌うよって言ってくれたり、対バンの予定が無かった人も、手を挙げてくれたから。なんとか成功してよかったよね。

2013年9月 Naoko不在のレコ発@下北沢THREE

——そのレコ発ライブの模様は、ナオコさんは中継で観ていたんですよね?

Naoko:ベッドの上でかな?そのライブの中継を観てて。あーみんな歌ってくれてるーって。でも本当に絶対安静だったんで。その後、実家に帰ってからも入院して、24時間点滴みたいなことになってから。結果やっぱりやらなくてよかったんだろうな。

Hisayo:無事に乙ちゃんが生まれて良かったね。

Naoko:そうだよね。でも産後の復活は、わりとスムーズだった。

Hisayo:そこで、逆にステージに立てなかったことがさ、早くリベンジしたい!歌いたい!って気持ちになったんじゃない?

Naoko:そうかもね。そこでやってたら、もうやりきった感になってたかもしれないよね。…でも歌えてないから。

Hisayo:途中で終わってるカンジがナオコの中であるだろうなって思った。でもけっこう早いうちに、もうなんかできそう、みたいにナオコが言ってきて。そんなに早くできるの?って。大丈夫?って思うくらい(笑)じゃあ動こうか!みたいなカンジで。ちょうどレコ発から一年で復活した(2014年09月05日@渋谷Strar lounge 「ニュー・センチメンタリズム」(w/POP CHOCOLAT,Merpeoples)を開催)。

2014年9月 1年3ヶ月ぶり活動再開ライブ@渋谷Star lounge

Naoko:そうだったね。うん。

 

すべてが自分の時間じゃない中で、絶対にやりたいことしかやりたくない

Naoko:ここまでの全体の流れを言うと、最初の4人時代は、とにかく男子に負けまいと闇雲にやって、自分達がどう見えてるっていうのも考えずにガーってやってた。それから、海外に行って自分達のことを客観視して、自分達に向き合って考える時代が来て、今は本当に…まぁ女子だと、どうしても周りのバンドも、結婚とか子どもが産まれたとかで、辞めていくタイミングがすごく多いと思うんだけども。確かに活動しづらくなるのも当然で、ツアーに出るのもなかなか大変だし。だけどそういう中でも、やれるカンジでやっていこうって。これがワタシ達のできることだ、って。

だけど、だからこそ、絶対にやりたいことしかやりたくない、ってすごく思う。時間の調整とか、リハの調整とか、すべてが自分の時間じゃないし、めっちゃ忙しい時間の中で組むから。次のライブはどうしよう?こうしよう!っていうのを、昔のけっこう一杯一杯でこなしてた時代から、今は短い時間の中で、次のライブはこうしたい、とかって決めてる。だから今は、一本一本のライブをすごく大事にしたいなって、強く思っているよね。

Hisayo:うん。

Naoko:今はライブごとに、2人のライブがあったり、4人のライブがあったり。

2015年5月 "petit set”でFrancisとセッション@恵比寿BATICA

Hisayo:毎回、スペシャルなカンジがしてるよね。

Naoko:そうだね、それは自分達も面白いと思うし。観てるお客さんもそれを面白いと思ってくれたらなぁって思ってるよね。

Hisayo:こういう状況でやってるから、あんまり将来的に大きな目標とか、そんなに立てられない、じゃないですけど、あんまりそういうところは見てない。今、現状できることをやって、楽しいことをずっと継続していくっていうのが目標。今15周年で、次に20周年に向けてどうっていうカンジじゃなくて、現状のカンジがずーっと続けばいいな、って。

Naoko:まぁ考え方だけで、今のベストを尽くすことには変わりはないなっていうか。目標があっても、ベストを尽くすだけで。今は、ここで何をするっていうのは、特にあるわけじゃないけど、目の前のライブをベストにしたい。

Hisayo:やっぱり女子だから、このぐらいの年になると、ナオコはもしかしたら二人目とか、あと体調崩したりするかもしれないとか。でもそういう事にも対応できるっていうか。そういうこともありうる、って思っておかないと、計画通り行かなくて、崩れちゃったりするかもしれないけど、どういう状況になっても、二人でその時の最善のベストを尽くせば、楽しい事をできるっていう風に思っておけば、いいかなあと。あえて決めないっていうことですね。

Naoko:うん。

 

頑張ることができるのは、頑張ってる人が横にいるから

2015年9月 Reiko飛び入りライブ@三軒茶屋HEAVEN'S DOOR

——レイコさんの脱退については。
(2015年9月13日「Alien's Kitchen2015」@三軒茶屋HEAVEN'S DOORでは急遽アンコールのステージに飛び入り参加して姿を見せるも、2015年9月16日付けで正式脱退を表明)

Hisayo:病気療養中だったレイコも、自分の体調をみながら、ちょっとずつバンド活動をやってて、結果的に今ではけっこうやってるんですよ、他では。でもpinsalocksではやってないっていう現状はどうなんだろうと、まぁ見る人が見たら、ちょっとモヤモヤするところもあるのかなーと思っていたんです。今年、15周年の節目の年ですし、レイコも宙ぶらりんにお休みのまんまというのも…で、ちょっとそういうことを話し合ってもいいのかなと思って。

それで、レイコ本人も言ってたけど、うちらと離れてやってる間に、音楽への向き合い方とかが、一人だけスタンスが変わっちゃって。今レイコがこっちに戻ってきて一緒にやるっていうのは、難しいような状況になってるなぁと。うちら二人は、他にいろいろやりながら、時間を作りながらやるっていうので、同じ方向を向いているけど、レイコはちょっと時間の過ごし方が違うから。今はそれで三人でバランスをとるのは難しいだろうと。これを機に正式に脱退することになりました。

——ちなみに、次のリリースの予定は?

Naoko:リリースの計画は、あるよね(笑)。

Hisayo:とりあえずライブ会場限定とかは、すぐ出せそうかな、ていうカンジはあります。予定としては、やっぱりツアーができるようにならないと。次に出す時は、しっかりライブができるようになった時に。さすがにそろそろね。絶賛がんばっている所です!楽曲の制作はしています。

——Spoon Market的なデカいイベントを企画する予定は?

Hisayo:でっかいっていうのはあれだけど、Spoon Marketをやってた時から時間がたってるから、今それをやりたいかっていったら、今のうちらとしてはリアルじゃなくて、今のうちらのリアルで面白いイベントっていうのはやりたいな、っていう話はしています。まぁ来年以降、できる状況の時にやろうって言ってて。いつっていうのは言えないけども、計画は話してるよね。

Naoko:はい、話しております。

——では最後に、11月12日@下北沢440「TOKYOメルト」に向けて、読者の方へのメッセージを。

Naoko:なんか長くしゃべってきたけどさ、そのすっごい前のワタシ達から見てくれてる人もいるんですよね。3人時代から見てくれてる人もいるし、2人時代になってから見てくれてる人もいるし、それぞれの時代のワタシ達を知ってくれてる人達がいるし、どれもすごく有難いって思う。でも今のワタシ達が一番良いと思ってくれてるから観に来てくれてる気もするから、それをずっと観たいなって思ってくれるようなことを、曲も、パフォーマンスも、ライブの内容とかも、やりたいなとすごく思うな。で、ワンマンはね、そういういろんなワタシ達の、普段の30~40分のライブでは見せ切れない部分を見せられたらいいなって思ってます。まだ曲をバッチリ決めてないけど、(※インタビュー時)けっこう昔の曲もいっぱいやろうかなって思っているし。あとはゲストの人も絡んで、いつものカンジじゃない、レアな面子でやろうと思っています。

Hisayo:うん。第一部はプチセット、withピロさんで三人でやって。ピロさんとは前に3人でやったこともあって、すごい良かったから。第二部はバンドセットで、ゲストをフィーチャリングしてもらったりとか考えています。本当に440ならではの、ワンマンでしか観せられないような内容を観せたいと思っています。15周年だからって今までのうちらの総括を見せるわけではなくて、ちゃんと今後の、新曲とかも披露しようと思っているんで。新しいうちらをそこで感じてもらえればいいなと。

Naoko:うちらが今まで続けてこれてるのってさ、なんとかカタチを変えてでもやり続けることを選んできたからだよね。その中でこの2人になったことで、よりそれが強くなった。だからライブでいろんなゲストの人とか、いろんな人に何かをお願いする時でもさ、芯のブレなさ感があって。…それこそ4人時代とかブレブレだったから(笑)。

Hisayo:自分達がわかってなかったから。

2015年11月 ワンマンライブ「TOKYOメルト」開催

Naoko:だけど今は、こうしたいよねっていうのを、常に話してるし、常に音でもそれを出してるから。それがあるから、いろんな面を見せられるワンマン、になる気がする。

Hisayo:話し合いながら、自分達でハードル上げちゃってね。けっこう頭で内容を考えてる時は、これ本当にできるのかなぁっていうのを考えてたりして(笑)。震える~!いや頑張ろう!みたいな(笑)。

Naoko:頑張りまーす(笑)。

Hisayo:けっこうこのスタンスで、無理せずやりたい、っていうのがすごくあるんですけど。でもちょっとだけ無理するっていうのも大事やなって。そんなカンジでやってます(笑)。

Naoko:でも音楽だけじゃなくてさ、女子って普通に生きててさ、けっこう頑張っててちょっとだけ無理するみたいなさ、そういうタイミングって誰にでもあるやん。すべての女の人がそれを頑張ってるんだと思う。ワタシ達は音楽で表現するっていうのをたまたま選んだだけであって、っていつも思ってる。あとね、ちょっと無理することができるのは、ちょっと無理してる人が横にいるからだと思う(笑)。ヒサヨが頑張ってるからワタシも頑張らなきゃいけないな~!というところはあるよね(笑)。ヒサヨも時間が無い中でこれをやったんだから、ワタシもこれやんなきゃ!みたいなさ。

Hisayo:言い訳ができない(笑)。

Naoko:その繰り返しが、ずーっとあるよね、たぶんね。

Hisayo:うん。それから本当に2人になってから、協力してくれる人がいるからpinsalocksは成立してるな、っていう思いがある。

Naoko:そうだよね。

Hisayo:ワタシ達、2人で何でもできます!ってカンジでもないんで。もちろんきっかけとして、新しいことを考えて、いろいろ動きはするけども、みなさんの協力あってのpinsalocksなので、その感謝の気持ちを伝えたいっていうのがある。15年間、やらせてもらってありがとうございます!みたいな。

Naoko:そうだよねー。

Hisayo:お客さんが観てくれてるからできてるのであって…。「TOKYOメルト」は、これからもpinsalocksをお願いします!っていうカンジでやりたいと思っています。

【インタビュー:下村祥子】

 

 

 

 
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2013年6月 ライブで妊娠を発表@渋谷Star lounge